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ロケット兵器の語源になった楽器-幻の「バズーカ」

・携帯型ロケット兵器の別名「バズーカ」が、もともと楽器の名前だったことをご存知でしょうか?

・元祖の「バズーカ」は、非常に単純な構造をもつスライド式の金管楽器でした。かなり太い内外2本の直管と、それらのいずれか一方の末端に固定されたベル(メガホン)とから構成されており、全体を望遠鏡式に伸縮させて音程を変化させながら演奏されます。「ぼえぇ~~ん」というかんじの、とぼけた低音が出ます。


・楽器メーカーによる既製品は存在せず、身の回りの廃品(金属製のガス管やベッドの脚、食品用のじょうごなど)を利用して奏者自身が自作するのが事実上のお約束でした。1930~40年代のジャズ系コメディ音楽の分野で出現して一瞬だけ流行し、知名度のあるプレイヤーはわずか3名。そもそもが冗談色の強いジャンク楽器であって、シリアスな演奏は困難ですが、こんなガラクタで結構正確なメロディーと美しいビブラートを吹いてしまう凄い人もいました。


・トランペットやチューバなどの一般の金管楽器と同様に、閉じた唇の間を息が通る際の振動(リップリード)を音源として動作するものであり、カズーのようなおもちゃ(膜鳴楽器)ではありません。内外2本の直管が互いにスライドすることによるトータルの管の長さの変化と、唇のアンブシュア(緊張度合い)とによって、不完全ながらも音程をコントロールすることができ、原理としてはトロンボーンの親戚と言ってよいでしょう。音域は概ねトロンボーンよりもやや低い程度です。マウスピースはなく、管の入り口に唇を直接つけて演奏されますが、チューバ用のマウスピースが装着される場合もありました。



・このなんとも人を食った楽器は、米国のコメディアンであったボブ・バーンズ(Bob Burns; 1890-1956)という方(写真)が、その少年時代に創作したものと考えられています。 このバーンズ氏、「バズーカ」の演奏を交えたトークにより1930年代のラジオショーで活躍した第二次大戦前の大スターであり、ビング・クロスビー、トミー・ドーシーやスパイク・ジョーンズとも普通に共演、1940年代には映画作品にも多数出演し、同氏の活躍により楽器「バズーカ」は、1930~40年代の米国で一時とても有名になったのだそうです。



1. 楽器「バズーカ」の誕生


・バーンズ氏(本名ロビン・バーンRobin Burn)は米国アーカンソー州ヴァン・ビューレン(Van Buren)の生まれ、楽器「バズーカ」を発明したとされる1905年(明治38年)当時は、コルネットやトロンボーンを吹く15歳の少年でした。彼の父親と祖父は土木技師でした。


・彼が所属していた地域のブラスバンド「Frank MacClain's Van Buren Queen City Silvertone Cornet Band」は、ヘイマン水道工事店(Hayman's plumbing shop)の裏庭で練習していたのですが、ある晩「Over the waves」のワルツを練習中、ロビン少年が当日担当であったマンドリンの弦が切れてしまいました。


・手持ち無沙汰になったロビン少年、その場にあったガス管(直径1.5インチ=約38mm、長さ20インチ=約50cm)をふと吹いてみたところ、尋常でない音、「手負いのヘラジカ」(wounded moose)の鳴き声のような奇妙な低音が出ることを発見。


・驚いたロビン少年はさらに、ガス管の外側に楽譜の紙を巻き付け、これをトロンボーンのように前後させてみたところ、曖昧ながら3音ほどの音程が作れるではありませんか。


・周りの子供達に大笑いを取ったのに気をよくして、紙に代わりガス管の内部でスライドするようなブリキ管を導入、後日さらにベル(メガホン部分)としてウイスキー用の漏斗(じょうご)をブリキ管に半田付けし、またリーチを稼ぐために漏斗に操作用のハンドル(取っ手)を付けました。最初のバズーカの制作には叔父のHenry Hink氏が協力しました。ロビン少年の人生を変えた楽器「バズーカ」の誕生です。



2. 楽器名「バズーカ」の由来


・「バズーカ」(bazooka)の名前はバーンズ氏自身の命名です。息の成分の多い(windyな)音色にちなんで、当地の方言でwindy fellow(大口叩きな奴)の語る大言壮語を意味する「バズー」("blowing their bazoos")に、「バラライカ」「ハーモニカ」のように楽器を思わせる語尾「~カ」(-ka)を結合したものだそうです。



3. ボブ・バーンズの活躍~ロケットランチャーの語源になった経緯


・バーンズ氏は長じて1911年ごろから、映画普及以前のエンタテイメントの主流であったヴォードビル(旅回りの舞台演芸)の黒塗り顔芸人として芸能活動を開始します。第一次大戦に従軍した際には、海軍の軍艦で大西洋を横断する際に「バズーカ」を持ち込み、余暇時間を練習にあてて演奏をマスター、これが上官の目にとまり抜擢されてMarine corp's jazz bandを編成しました。ヨーロッパでは「好きなだけ駐留して良い」との許可が出たのを良いことに、終戦後しばらくして上官に気づかれ呼び戻されるまで演奏活動に明け暮れたそうです。


初期の活動を伝える新聞記事。1920年(大正9年)

仮訳(当時ふうに):

『当地にてバズーカを演奏せんとす/ジャズバンド軍曹、新たな瓦斯管の戯楽器を披露』

 大戦中に「パーシング将軍のジャズバンド」を編成せしロバート・バーンズ軍曹、当地のダンス音楽の為、新たな楽器を披露せり。バーンズ氏は彼のユニークな楽器と共にロンドンから到着したばかりにして、此の楽器をバズーカと称する。此の楽器は低音のサクソフォンに良く似たる音色を有し、じょうごの如き端部が取り付けられし二本の瓦斯管から成る。此の楽器、全種の楽器が大いに不足せる一方、非常時にて廃品ばかりが入手可能なりし大戦中に於けるバーンズ氏の発明の才の成果なり。


・除隊後は1920年代を通じて、エンジニアやセールスマンとして生計を立てつつ、米国南部を巡回する旅芸人として長い下積み生活を送りましたが、1931年に運よくオーディションに合格してラジオショーに出演するようになります。アーカンソーの田舎者キャラクターを演じるバーンズ氏のおしゃべりと、奇妙な管楽器バズーカによる素朴な演奏は人気を呼び、1935年にポール・ホワイトマンのラジオ番組のレギュラーの座を獲得、次いで当時のスーパースターであったビング・クロスビーのラジオ番組「クラフト・ミュージック・ホール」のレギュラーに抜擢されて、バーンズ氏は一躍全米の有名人となりました。45歳でのブレイク は当時としても大変な遅咲きと思われます。


・人気の出たバーンズ氏は映画にも多く出演しました。俳優としての役柄も基本的に変わらず、「アーカンソーの片田舎から出てきた流れ者が、都会人の敵を出し抜いていく」というのがお約束だったようです。出演映画の一覧はこちら(映画データベースサイト「IMDb」)、代表作はビング・クロスビーと共演した「Rhythm on the range」(1936)、「The Big Broadcast of 1937」(1936)、あるいは自身が主役となった「Arkansas traveller」(1938)あたりかと思われます。


写真:1942年ハリウッドでの在外兵士向け短波放送。豪華なメンバーは左からダイナ・ショア、スパイク・ジョーンズ、ボブ・バーンズ、カウント・ベイシー、ライオネル・ハンプトン、トミー・ドーシー


・バーンズ氏の全盛期には全米の若者の間で「バズーカ」の自作が流行した、という情報もありますが、当時の放送を知る世代は現在80歳以上と高齢でウェブアクセスが期待できず、かつ自作品の記録も見当たらないので、真偽の程は確認できません。また「バズーカはバーンズ氏自身によって何百本と制作され、バーンズ氏はこれを毎回必ず演目の最後にぶっ壊していた」とするウェブ記事も散見されますが、各種画像に写っているバズーカは、現在Arkansas Entertainers Hall of Fame(アーカンソーのエンターテイナー名声の殿堂)に展示されているという実物(→写真)を含めていずれも同一個体とみられるため、個人的にはこの説も疑わしいと思います。


・晩年のバーンズ氏によると、彼の人生で最も誇らしかった瞬間は、1942年に米軍によって開発された新兵器の「M1型対戦車ロケットランチャー」に、彼の楽器にちなんだ愛称がつけられたと知ったときだそうです。バーンズ氏がOrdinance Department(兵器局?)から受け取った手紙によると、この新兵器がソマーベル大将(general Somervell)の前で実演された際に、出席者中のある大佐がその威力に驚きつつも、「あのとんでもない新兵器は、ボブ・バーンズのバズーカにそっくりだね」(That damn' thing looks just like Bob Burns' bazooka)と言ったところ、ソマーベル大将を含む一同大笑いとなり、それ以来この新兵器は「バズーカ」の愛称で呼ばれるようになったとのこと。(参考文献:"Thereby hangs a tale: stories of curious word origins" 1972 Charles Earle Funk, P.31)



4. バズーカの後継者たち


・バーンズ氏のバズーカはとても癖の強い楽器だったらしく、「数多くのトロンボーン名人が演奏に挑戦したが、バーンズ以外の誰も吹けなかった」との逸話が残されています。しかしこの逸話はやや誇張であったようで、実際にはバーンズ氏以降にも何人かのバズーカ奏者が出現しており、他のバズーカ奏者としては以下の2名がよく挙げられています。


[1] サンフォード・ケンドリック(Sanford Kendrick):生没年未詳

 米国アーカンソー州。ヒルビリージャズバンド「Bob Skyles and his Skyrockets」のコルネット及びトロンボーン奏者。1990年代まで御存命だった模様。同バンドは1937-41年に87曲もの録音を残しており、全く売れなかったわけでもなさそう。写真左側のケンドリック氏が左手で掲げているのがバズーカのようであり、ベルの口径はバーンズのものよりも大きめに見える。


[2] ヌーン・ジョンソン(Edward "Noon" Johnson):1903-1969

 米国ルイジアナ州。バーンズとは無関係に自作楽器"funnel phone"を考案し、少年時代から路上ジャズバンドで小遣い稼ぎをしていた模様。のちにバーンズにならって楽器名をバズーカに改名。ニューオリンズジャズのギター奏者として活動したほか、チューバ奏者として当地の名門Young Tuxedo Brass Bandにも参加、バズーカ奏者としてはスキッフルのトリオでローカルに活動した。バーンズの番組にゲスト出演したことも。楽器でかい。



以上が多少でも知名度のあるプレイヤーですが、さらに近年では「世界で唯一の現存するバズーカ奏者」を自称するこの方の存在も確認されています。


[3] オームリー・ガムファッジンさん(Ormly Gumfudgin):1922-2009

 米国カリフォルニア州。定年退職後にバズーカの顕彰・再現及び保存を決意、ソロ活動(!)のほかスキッフルの「Bazookastry trio」でバズーカを担当。




・これらバズーカ奏者は4人とも米国人であり、ジャンル的にはいずれもトラッドジャズ系と言ってよいでしょう。ただしバーンズ氏以外の3人の演奏は、残された幾つかの音源から判断するとバーンズ氏よりも不器用であり、主旋律を吹くのがやっとであるか、主旋律も吹けない程度だったようです。



5. 形式上の分類


・バズーカは全て自作品なので、全長やベルの大きさ、ベルの開き角度などはまちまちですが、形式としては「内外2本の管のうちのどちらにメガホンを固定するか」により2つの種類に大別できそうです。ここでは説明の便宜上、これらを制作者の名前にちなんで「バーンズ型」「ケンドリック型」と呼びます。


[1] バーンズ型:メガホンを内側の細い管に固定するもの(いわばFar-Pipe-Inner)

・演奏者側から、太い管~細い管~メガホン、の順につながります。可動である細い管に手が届かないため、操作のためにメガホンあたりにつながる長いハンドル(取っ手)をつける必要があります。バーンズとガムファッジンのバズーカがこのタイプです。


[2] ケンドリック型:メガホンを外側の太い管に固定するもの(いわばFar-Pipe-Outer)

・最も素朴なものです。演奏者側から、細い管~太い管~メガホン、の順につながります。可動である太い管を手で掴めるため、メガホンにハンドルをつける必要がありません。ケンドリックとジョンソンのバズーカがこれにあたりますが、後者がハンドルをつけているのはおそらく意匠上の理由からと思われます。


[3] 両者の得失

・ケンドリック型はハンドルが不要である上、管径(管路の断面積)が吹き口からメガホンにかけて単調増加になるため、管楽器としての特性において比較的有利になる可能性があります。

・しかしケンドリック型は、演奏の際に持ちづらいという欠点があります。つまりケンドリック型では、左手で吹き口付近を持ち、右手で可動の太い管を持つことになりますが、右手が「伸縮のコントロール」と「重量の保持」との両方を行わなければならないため、負荷の集中する右手が非常に疲れてしまうのです。これでは長時間はとても演奏できません。

・この点バーンズ型では、奏者側となる太い管の中途の任意の位置を左手で持って重量を支持しつつ、右手のハンドルで伸縮のコントロールを行えます。これにより重量バランスの良い保持点を選択できる上に保持点の移動もなく、かつ負荷が両手に分散されるため、ケンドリック型に比べて演奏中に持ちやすいという利点があります。このアイデアは机上論として合理的である上、実際の演奏性の向上もそれなりに顕著です。また些細な事かもしれませんが、バーンズ型はメガホンに連なる細い管に手が触れないため、共鳴を減殺しないという利点もありそうです。

・以上より、トータルではケンドリック型よりもバーンズ型が技術的に優れているように思われます。さすがはバーンズ先生、バズーカの元祖というだけでなく技術的にも良く練られており、エンジニア魂が感じられます。



6. 吹奏上の特徴


・バズーカは通常マウスピースがなく、且つその吹き口近くの管径がトロンボーンやチューバなどの既存の管楽器に比べ桁違いに太い(写真から推定して約30-45mm)ため、吹く際に背圧ないし抵抗がほとんど感じられません。また、おそらく管長の短さに起因して、高音域の倍音が非常に出しづらいです(南アフリカの楽器「ブブゼラ」と同様)。これらのことから、バズーカは既存の管楽器とは吹奏感が大きく異なり、むしろ既存の管楽器を上手く吹ける人ほど、強い違和感からその演奏に困難を覚えるようです。


・他方、何らかの方法で通常のチューバ用などのマウスピース(すなわち、カップ及びシャンクを有し管径がカップ出口で狭窄されたもの)をバズーカに装着した場合には、倍音域にある高音は比較的出し易くなりますが、音質が細くなって独特の低音の響きが損なわれる上、スライドによる音程制御が効かなくなりアンブシュアのみによって音程をコントロールしなければならず、結局これはバズーカ本来の用法ではないものと考えます。以上のことは実機を制作してみてわかりました。


・音程がトロンボーンよりも相当に不安定(特に4-7ポジションなどの低音側の領域)ですが、ある程度は音程をスライドで制御できます。工作精度にもよりますが、音程制御はどうやら「アンブシュア7割にスライド3割」といった具合です。しかし1-3ポジションなどの高音側の領域でポジションとアンブシュアがヒットすると、なかなか張りのあるグリッサンドが楽しめます。内外管の間の気密性を高めるほど、スライドによる音程調整が強く効いてくると予想されますが、それだけアンブシュアによる音程のごまかしが効かなくなるので、気密性の向上はほどほどに留めておくのが実用的な気がします。


・例えば「セルパン(serpent)」という奇怪な管楽器(チューバの先祖、指孔式)は個体差が強く、指使いが個々の楽器によって微妙に違ったりするそうですが、そのような楽器に比べればバズーカは、ポジションと音程との関係が直感的に理解できるぶん演奏がまだ容易そうであり、頑張れば結構なんとかなるんじゃないかと思われます。問題は、このバズーカを持ってヤマハの音楽教室に行っても追い返されそうなところですが・・・。



7. 近年の研究例


・バズーカの研究例としては、芸術家で中央フロリダ大学教授のスコット・F・ホール(Scott F. Hall)氏が、簡潔ながら優れたウェブページ「How to Make and Play the Slide Bazooka」を作っておられます。同氏のページでは、塩ビ管と樹脂製じょうごを使った「ハイテク・スライド・バズーカの作り方」という記事を掲載しており、トロンボーン用マウスピースのシャンクに直結されるインナーチューブ及びインナーファンネルを使った3重管構造(当時)につき多くの示唆を得ることができました(試作の結果ジャズボイラーズではこの構造の開発を中止して、2重管構造に切り替えましたが)。また当時の同氏のページでは、バズーカ自作のための必要部品をセットで通販するなども行っていたように思います。現在もホール氏のサイトでは2重管構造のバズーカの作り方を紹介していますので、興味と根性のある方は作ってみてはいかがでしょうか。


・なおYoutubeに出ている投稿動画「A very bazooka christmas」は、ホール氏の設計に係る初期モデル(塩ビ製)のバズーカを制作したどこかの青年達が、これにトランペット用のマウスピースを付けて遊んでいる様子と思われますが、低音楽器であるバズーカの本来的な用法でなく単なる奇矯なパーティーホーンになってしまっているのは、この楽器の性質につき誤解を与えかねず残念です。


・ホール氏の提案されるバズーカは、スロートつきのマウスピース(カップ及びシャンクを有し、両者の接続点で管路断面積が狭窄するもの)を使い、音程はアンブシュアのみで制御する一方、スライドは音程を制御せず音色に「ワーワー」エフェクトを与えるものとの割り切った立場を採っておられます。このため、スライドによる音程コントロールをあくまで志向する現在の私共ジャズボイラーズのバズーカとはアプローチが異なります。すなわち、ホール氏がバズーカを「裏声ホーン」(falset horn)と形容し、スライドポジションによる音程制御の可能性を否定しているのに対し、ジャズボイラーズではハイポジション領域でのわずかな音程規定性を積極的に捉え、これを足がかりにした奏法を模索しているところであって、バズーカに対する楽器としての評価ないし位置づけに若干の相違があるように思われます。試作機の素材や工作精度の違いに起因したものかもしれません。


・しかし同氏のサイトは練習法など参考になる点も多く、又なによりバズーカが自作できる楽器であるとの確かなメッセージには、私共も大いにインスパイアされたものであって、その先駆的研究例としての重要性は今なお失われていないものというべきでしょう。



8. 楽器「バズーカ」の衰退と絶滅


・バーンズ氏は1947年(昭和22年)に57歳で芸能界を引退、隠れた実業の才により土地投資で増やしていた財産を元手に、晩年はカリフォルニア州キャノーガ・パークで200エーカー(0.81 km2)の養豚場を経営しながら裕福に暮らしたということです。1956年に腎臓がんで亡くなりました(享年64歳)。


・そして楽器にちなんだ愛称のついた兵器のバズーカは、米軍により第二次大戦中の北アフリカ戦線で初めて使用されて以来、その優れた機動性と破壊力から地上戦の新たな主役として急速に普及し、後継の各種携帯型ロケットランチャーも今なお世界中で使用されています。


・これに対し楽器のバズーカのほうは、そのあまりに強い個性ゆえか、あるいは音楽バラエティや楽器漫談というジャンル自体の衰退ゆえか、バーンズ氏の引退以後は有力な後継者もなく、人々の記憶から急速に忘れ去られてしまいました。そして全盛期から70年を経た現在では、米国ですらバズーカが楽器であったことを覚えている人はほとんど居なくなってしまい、バズーカといえばやはり対戦車ロケットランチャーの代名詞として認識されているようです。


・しかしながら、幻の怪楽器「バズーカ」は現在これを振り返るとき、その図抜けて不真面目な設計コンセプトと外観、下品な音色、不完全な演奏性、そのくせ金管楽器の原理で動作する本物さ加減、のどれをとっても強烈な存在感を主張しており、金管楽器職人たちの聖域に水道工事的なセンスで踏み込んだ他に類を見ない実例として、なんとも無骨な愛嬌で21世紀の我々を魅了するのであります。


・ボブ・バーンズ氏のバズーカについてもっと知りたい方へ:詳細はこちら(英語、The Arkansas Roadside Travelogueさん)。アーカンソーの生家の写真もあり。


・2011.02 ボブ・バーンズの無名時代と、晩年のカリフォルニアの自宅の様子について、更に詳細な記事を発見(英語、"Paradise Leased" by Steve Vaughtさん)。これによるとバーンズ氏は、長い下積みの経験から極度の倹約家だったそうですが、この記事で紹介されている晩年のカリフォルニアの自宅はハリウッドスターらしく趣味の良い豪邸であり、日本ならば「バズーカ御殿」とか言われそうです。現在も残っているようです。



9. 資料編-動画と音源


・バーンズ氏の演奏による音源はこちら(「Red Arroyo」さん)。

ページの中ほど「MP3 Recordings」のうち3番目と4番目。

曲はそれぞれジャズのスタンダードナンバーで"How come you do me like you do"と"April showers"。

結構うまくてびっくりです。甘やかなビブラートに思わず苦笑・・・。


・こちらの音源"Sweet Sue, just you"は、なんとTommy Dorsey (tb)との競演!(掲載頁は同じくRed Arroyoさんの「Bob Burns And Friends Radio Humor」)


・2010.01 最近YouTubeに、ボブ・バーンズの映像が続々アップされているのを発見。超スム~ズな演奏を動画↓でどうぞ。ただし音声は冒頭のイントロのみであり、アフレコの可能性もあり。


ヴォーカルはマーサ・レイ(Martha Raye; 1916-1994)という方だそうですが、これまた圧巻のパフォーマンスですね。この映画「Rhythm on the range」(牧場のリズム)での「Mr. Paganini」の歌唱は、当時チック・ウェッブ楽団でデビューしていた19歳のエラ・フィッツジェラルドに影響を与えて彼女の生涯のレパートリーとなり、またバーンズとマーサ・レイのコンビはこの後も長く続いたそうです。トランペットは「Sing, sing, sing」の作曲者として知られるルイ・プリマ(Louis Prima; 1910-1978)とのことでこれまた豪華。この映像は1936年というから、昭和11年!!この年代でこの画像・音響・実演のクオリティの高さは凄いです。当時のアメリカ映画界の格式の高さが感じられます。



・2010.11 ボブ・バーンズのさらに詳しい映像が出てきました!「スターと歌おう」的な短編映画のようですが、圧倒的な情報量です。一部のバズーカ研究家(←って誰だよ)にとっては大変貴重な第一級資料の出現ですね。これをアップロードした「bazookamsb」さんは他の動画へのコメントでMichael S. Burnsを名乗っている点と発言内容からみて、どうやらバーンズ氏のお孫さんのようです。ありがとう!感動した!!


・とにかく中身を見てみましょう。撮影は1946年(昭和21年)だそうですので、バーンズ氏のキャリアでは晩年にあたり、冒頭部分では既に対戦車ロケット兵器との関係が示唆されています。この映像によると、ボブ・バーンズのバズーカは(3ピース構造ではなく)本当に2本の筒だけで出来ており、またマウスピースは使われていないとの本人の説明です(それにしても聞き取りづらい英語、アーカンソーなまりなんでしょうか・・・)。


・ぶつけたり叩いたときのソリッドな金属音(1:14~)から判断すると、パイプだけでなくベル(ウイスキー用の漏斗とのこと)にもそこそこ厚い金属板が使用されている模様です。内管にトロンボーンのスライドのようなストッキング部(わずかに大径にされた部分)は設けられておらず、内外のパイプ間の気密性はあまり考慮されていないようです。


・バーンズは2:53から1コーラスだけバズーカを吹いており、独特のこってりした低音に加えて、音程の正確さと表現の繊細さは美しくさえ感じられます。管長と音程との対応関係の甘さからみて、楽器としてはスライドのポジションがあまりシビアでなく、スライドの使用はあくまで補助的である模様です(この点は私共ジャズボイラーズのバズーカと同様です)。音声がアフレコかは、ちょっとわかりません。


・ちなみに歌詞の和訳はこちら。ご存知「雪山讃歌」の原曲ですが、、「ぼくのいとしいクレメンタイン/渦巻く淵にまっさかさま/お前は永遠に逝ってしまったんだね」って、元々はそんなに悲しい歌だったんですね・・・。



・2022.3:TBSから公開された映像。冒頭の字幕からみて日本で保存されていたようで驚きです。0:10の本名は正しくは「ロビン・バーン」とすべき。0:42の曲はRock-a-bye baby、マザーグースの子守唄の一つだそうです。


・2010.11 第2のバズーカ奏者、サンフォード・ケンドリックのバズーカ演奏が収録されたBob Skyles & his Skyrocketsの演奏は、こちらのリンク先でどうぞ。「My Arkansas Bazooka Gal」のほうにバズーカが入ってます。


・ケンドリックのバズーカは、その鈍い音色からみてプラスチック製(年代からみて塩ビ管は量産されていない筈なので、セルロイドやベークライトなどの初期の合成樹脂か)かもしれませんし、ひょっとしたらボール紙製かもしれません。演奏はグリッサンドを多用して故意にのたりくたりと吹かれており、バズーカが不器用なノベルティ楽器であることを強く主張していますが、本当はもう少しきびきび吹ける余力があるようにも聴こえます。


・同バンドには「Bazooka stomp」「Mr. Bazooka and Miss Clarinet」「The Arkansas bazooka swing」「Blue bazooka blues」といった曲もあり、このへんとかこのへんの音源に含まれているようです。曲名に「bazooka」が入っていない曲でも、バズーカの演奏が入っている場合もあるようで油断できません。ちなみに近年英国でCD化された同バンドの音源は日本でもAmazonから入手可能ですが、そちらにバズーカの演奏が含まれているかは分かりませんのであしからず。


・バンドはバズーカのほか、スライドホイッスルやオカリナを使ってみるなど、チープなイロモノ感がいいかんじです。楽曲や演奏はごく素朴で、こういう音楽をウェスタン・スイングというのだそうです。緻密な造り込みよりもカントリー的な気楽さが強調されており、そのせいか1937-41年(昭和12-16年)という録音年代以上の古さを感じさせます。1941年といえばニューヨークではビバップが誕生しているような時期ですので、それとは全く対照的なこのバンドの素朴さは、当時におけるレトロテイストなのかもしれません。


・2019.02追記:ケンドリックのバズーカの音声が、Youtubeに若干上がっていました。



・第3のバズーカ奏者、ヌーン・ジョンソンについてはこちらの記事が詳しいです(英文=「RA」ボタンでサンプル音源が聴けます)。ほぼベースラインだけを吹いていますが、元々がチューバ奏者というだけあってコードに破綻がなく、たまに吹いてみせる主旋律も音程が結構正確です。バズーカは音域がチューバ並みに低いので、ベースラインを吹くのはそれなりに正しい用法かもしれません。またヌーン・ジョンソンのバズーカはその巨大なベルにより大きな音圧が期待できそうであるため、ベース楽器としての用法はその意味でも合理的かと思われます。


・2019.01追記:ヌーン・ジョンソンのアルバムの全曲が、Youtubeに上がっていました。なんという時代か。そして楽器でかい。


・ヌーン・ジョンソンのバズーカを至近距離から捉えた超貴重な写真はこちら(WJFさん英語サイト)。これはデキシーセインツ外山喜雄さん(tp)のご撮影でしょうか?外山さんは1968年から延べ5年にわたりニューオリンズに住んでジャズ修行をされたという非常に貴重なキャリアの持ち主で、ジム・ロビンソン(tb)、アルバート・バーバンク(cl)やドン・ユール(p)といった伝説的巨人たちとのレコーディングも豊富な日本トラッドジャズ界の大御所ですが(ご著書もおすすめです)、この写真からすると外山さんは、ヌーン・ジョンソンのバズーカに間近に接した(もしかすると、一緒に出張演奏の仕事をした!)ご経験をもつ唯一の日本人かもしれません。写真はニューオリンズのバーボン・ストリートに面したバルコニーからの演奏風景のようであり、写真表現的にも壮観な一枚ですが、ここでは勿論バズーカに注目しますと(笑)、元はベッドの脚だったとされる素材の真鍮管はなんと鋳物のようであり、そうだとすると重くて演奏がとても大変そうです。


・ちなみにバズーカは全長が長いだけでなく、重量のあるベルがスライドを伸ばすに従って奏者から離れるように移動し、しかも吹奏時には全体を「片持ち梁状」に支持しなければならないため、とくに水平に近い姿勢で支持するときに「トルク(力のモーメント)が重くて構えづらい」という宿命的な欠点を持っています。例えば物干し竿や野球用バットのような長い物体を手で持つにあたり、長手方向の中央を持って水平に保持するのには手首のスナップは要らないのに対し、一端を持って水平に保持するのには非常に強い手首のスナップが必要であり、これと同じ現象です。楽器設計上の配慮が演奏時の重量バランスにまでは行き届いていない発達段階というわけで、おバカ楽器ならではの不自由さが遺憾なく露呈しています。


・そう考えると、たしかにバズーカ奏者の画像は楽器を真下に向けて吹いているものが多く、皆さんさぞかし重かったことと思われます。そしてヌーン・ジョンソンのバズーカは、アルペンホルンのようにベルを床に置いて吹いている写真までありますので、史上ダントツに重たいバズーカだったとみてよいでしょう。バカですねー、床に置いてしまうと、せっかく作ったスライドが動かせないので、もうバズーカとは言えないんですが・・・。しかし、こうなるともう何の楽器だったかなんて本人にとってどうでも良いのかもしれず、それでもとにかく変な金属管で低音を吹きたい!というそのピュアーな演奏衝動(というか、バカ実行衝動)のありようが、ある意味感動的で熱いのかもしれません。


・2011.11 Dr.Konさんのtwitterに、ヌーン・ジョンソンのバズーカ動画発見の情報が。うわあ動いてますね!笑。5:11-のほか、1:44-, 3:56-にもチラリと登場。音声が無いのが惜しまれます。



・2010.10 最後のバズーカ奏者、オームリー・ガムファッジンさんの動画です。なんとマドンナの大ヒット曲をカバー・・・これはひどい、しかし面白い!歌のハモりや変な間奏もいちいちくだらなくて絶妙です。上のボブ・バーンズの映画とは対極的な内容ですが、米国のエンタテイメントはやはり相当にハイレベルですね。


・ガムファッジンさんの他のサンプル音源はこちら。なんとCDまで出しているのですが、ほとんど吹けてません。生で聴いた人の感想として「鑑賞はかなりの苦痛を伴った」という報告もどこかで見ましたので、演奏家というよりは、不器用さと老人トークを主題とした特殊お笑い芸人さんとみるのが相当でしょう。しかし芸能として良く計算されており、一種のセルフプロデュース能力の高さが窺えます。ちなみにNASAに長年勤務されていたそうです。本名Stan Locke、2009年没、享年87歳。合掌。


・コバヤシ自作のバズーカは、こっちを見てやって下さい。日本でたぶん唯一の実物は、東京・上野公園ほかで毎月1回、ジャズボイラーズのライブの冒頭で熱烈実演中です!


2005-2022 (c) ジャズボイラーズ

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※この記事はロイター日本語版サイトの記事「ブログ:『バズーカ』、楽器と兵器と金融政策」(2013年4月18日・伊賀大記)からリンクされました(当方のサーバー移転によりリンクが切れました)。

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