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ジャズの歴史とニューオリンズジャズ

ジャズは19世紀の終わり頃に、米国南部の港町ニューオリンズで、その原形ができたといわれています。この初期のスタイルのジャズが、のちのスウィングジャズやモダンジャズと区別する意味で、ニューオリンズジャズと総称されています。各楽器の独立したメロディーが絡み合いながら自由かつリズミックに展開する独特の躍動感・祝祭感は、姿を変えながら現在も受け継がれています。
1.ジャズの誕生
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貿易港として栄えたニューオリンズでは18世紀から、プランテーションを支えた黒人達による週末のコンゴ広場(Congo Square)のパーカッションダンス(アフリカ系・中南米系)が盛んに行われており、それが観光名物になっているほどでした。またクレオール(黒人とフランス系白人との混血)によるヨーロッパ風のブラスバンドや管弦ダンスバンドも盛んでした。

そして南北戦争が終了し(1865)、不要になった軍楽隊の楽器が安く出回りブラスバンドが乱立、これが19世紀末に流行していたピアノ音楽であるラグタイムと相互に影響して、リズミカルなダンス音楽になりました。これがジャズの発祥とされています。ヨーロッパのメロディーや和音と、アフリカのリズムとの融合です。

やがて1900年ごろにはニューオリンズの歓楽街(娼館街)ストーリーヴィルを中心に、ジャズが踊りのショウや社交ダンスの伴奏として盛んに演奏されるようになります。録音音源のない時代ですので、近隣の演奏家は引っ張りだこになり、地域にはバンドマンがあふれ、親兄弟だけでバンドが出来るような音楽一家がいくつも誕生するほどでした。

動画1:最も初期のジャズの雰囲気を伝える?猛烈な録音(1924年)。ラグタイム曲を忠実に演奏しておりアドリブ(即興)の要素はないが、タイトなリズムと目まぐるしい展開は異様な華やかさ。フェイト・マラブル(Fate Marable、ピアノ)率いるこの船上ダンスバンドはルイ・アームストロング(tp)、ポップス・フォスター(b)、レッド・アレン(tp)、ドッズ兄弟(cl, ds)など多くの名手を輩出し当時の登竜門的存在であった。

動画2:ジャズと銘打った録音として最初のヒットを放った白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズバンド(Original Dixieland Jazz Band、1917年)。この曲Livery stable blues(貸し馬の厩舎のブルース)では第3テーマで鶏・馬・牛の鳴き声を楽器で表現している。なお「最古の」ジャズ録音とされてきたが異論もある模様(詳細こちら=英文)。

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しかし、アメリカの第一次大戦参戦(1917)に伴い、性病蔓延を恐れた政府によりストーリーヴィルが閉鎖され、演奏の仕事が激減、演奏家たちは職を求めて移住を始めます。これによってジャズの中心地はミシシッピ川を北上してシカゴへ、そしてニューヨークへと移ります。

動画3:当時のジャズ王キング・オリバー(Joe "King" Oliver、コルネット)が若きルイ・アームストロング(コルネット)をシカゴに呼び寄せた、バンド絶頂期の録音(1923年)。絶妙な編曲と各メンバーのこなれた変奏で、乗りまくりの好演。

愛称「サッチモ」で知られるジャズの王様ルイ・アームストロング(Louis Armstrong,トランペット、1900-1971)は、こうした進出組の中の若手の一人であり、斬新な即興変奏(例:Wild man blues - 1927)で表現の幅を一気に拡張して、ジャズに最大の影響を与えました。

その後のスウィング・ビッグバンドの大流行(1920年代末~40年代)、そしてビバップと呼ばれるモダンジャズの誕生(1940年代)は、今日のジャズの姿を決定的にしました。このあたりの主流のジャズの歴史については、すでに良い解説が多数あるので(→Google「ジャズ 歴史」検索結果)、そちらを読まれると良いでしょう。

2.地域に根付いたジャズの「再発見」(リバイバル):古老たちのジャズ

さて、すっかりジャズの街になったニューオリンズでは、シカゴに行かなかった演奏家や、行っても戻ってきた演奏家たちが、普段は別の仕事をしながら(港湾荷役・郵便配達員・職人・警官・保険業など)、お祭りや週末のダンスホールに、バーベキューパーティーに、葬式に、はたまた商店や選挙の宣伝にと、あらゆる機会で雇われるようになります。

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特に葬式での演奏は「ジャズ葬式(jazz funeral)」として知られた独特の風習として根付きました。教会から墓地(土葬)までの行進ではスローテンポの曲が荘厳に演奏されますが、墓地からの帰り途には、苦難に満ちた現世からの解放を祝福するように、一転してアップテンポの曲が躍動的に演奏されます。これに近隣住民の熱狂的な踊りの列が加わって街まで行進します。

動画4:ジャズ葬式の概要を紹介する1960年代の映像(ユーレカ・ブラスバンド)。後半の群衆のダンスが壮観、もう音楽こういうのでいいのでは?

また娯楽のまだ少ない当時、社交ダンス(ペアダンス)は週末の夜のローカルな娯楽として、1950年代の末までにわたって長く流行しました。チャールストンやリンディホップなど、米国発祥の躍動的なスウィングダンス(日本で言うジルバの起源となるもの)が好まれたようです。

このようにして、当地に残された分厚いミュージシャン層と、地元コミュニティでのジャズ葬式の定着、そして社交ダンスの長い流行により、古いスタイルのジャズが実用され続けることになります。こうしてニューオリンズのジャズは、鑑賞対象として先鋭化されてゆく本流のモダンジャズとは無関係に、地域に根づき、独特の発達をとげて行ったのです。

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演奏された曲は、ラグタイム、マーチ、ブルース、戦前のミュージカルソングに加え、賛美歌やクレオール民謡が一定の割合を占めています。

黎明期のジャズの形式にルーツ的なゴスペル色が濃厚に加わり、南部らしい豊かな歌心と熱量、朗々と歌い上げられる主旋律と三和音を重視した明快な変奏の説得力、中南米音楽にも通じるタイトなリズムとシンコペーション、おおらかなグルーヴ感を特徴としています。

演奏技術は奏者によってまちまちであり、ビッグバンドで鍛えた一流どころが居る一方で、譜面の読み書きが怪しい奏者もかなり居たようです。演奏傾向は商業的ではなく、アクロバット的でもありません。しかし、個性の強い各奏者の即興的なメロディーが互いに独立して進行しながら、インタープレイ(対話的演奏)を繰返して場を盛り上げる様子は、現代的な主流のジャズには無い独特の魅力を放っています。

やがてニューオリンズジャズは、ジャズの原点の姿を残すものとして四半世紀ぶりに「再発見」され(1944年)、いわゆる「ニューオリンズ・リバイバル」として脚光を浴びます。失われたはずのジャズ黎明期の演奏スタイルが保存され、かつダンスの媒体として独自に発展していたというのですから、いわば「平家の落人の里」のような秘境発見の大ニュースであり、急速に難解になってゆくモダンジャズに疲れた当時のジャズファンに、熱狂的に迎えられました。

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1950年代には英国でアーリージャズに注目したトラッドジャズブーム(Wiki英語記事)もあり、その追い風もあってか、1960年代から1970年代にかけて、50代から70代の古老黒人演奏家らによる全米・欧州公演が人気を集めました。この時期に欧米や日本で多くの学生バンドが生まれました。さらに、地域でのダンスの流行が終わり演奏家の職が失われつつあった1960年には、ジャズ愛好家によりライブハウス「プリザベーション・ホール」(Preservation Hall; 保存館)が設立され、ジャズファンや観光客向けのセッションが、演奏家らの新たな活躍の場となりました。そして地元ニューオリンズでは多くの演奏が録音され、地元の幾多のレコードレーベルによって観光客向けのレコードが多数制作されました。

このようなリバイバル系の代表的なプレイヤーは、バンク・ジョンソン(Bunk Johnson,トランペット)、ジョージ・ルイス(George Lewis,クラリネット)、キッド・トーマス(Kid Thomas Valentine,トランペット)、パーシー・ハンフリー(Percy Humphrey,トランペット)、ジム・ロビンソン(Jim Robinson, トロンボーン)などです。

特にジョージ・ルイスは1963年から3度にわたり来日して全国を巡業し、真摯なプレイでファンに感銘を与えたとのこと。

動画5:リバイバル期のニューオリンズジャズの代表格、ジョージ・ルイス(クラリネット)のバンドの全盛期を捉えた貴重な動画(1953年)。この映像はなんと加藤平祐さん(cl)が2012年に米国San Francisco Bay Area TV-Archiveで発掘したとのこと。早世したローレンス・マレロ(バンジョー, 1900-1959)が動いている映像は他に存在しないのではないか。

動画6:リバイバル期の幾多の奏者の中でも土俗的な性格が際立っていたキッド・トーマス(トランペット)のセッション(1965年)。ジャズの表舞台の歴史から完全に隔絶された武骨な演奏スタイルは驚きをもって迎えられたであろう。まさに生きた化石、シーラカンスの風格。本動画は明快なストーリー性を含んだ特異なスタイルのサミー・ペン(ドラム、1902-1969)を捉えている点でも希少である。熱量あるキャプテン・ジョン・ハンディ(アルトサックス、1900-1971)のソロも聴きどころ。

動画7:確かな演奏技術を持ったクレオール系(あるいはDixieland Hall系)を代表する、フロッグ・ジョセフ(Walden "Frog" Joseph、トロンボーン)らの冴え渡った演奏(1964年)。流麗すぎるその演奏スタイルは土俗系の人達に比べてインパクトに欠けるためか、脚光が当たることが少ないが、完成された表現力としなやかなスイング感はもっと評価されて良いと思われる。

動画8:ウイリー・ハンフリー(クラリネット、兄)とパーシー・ハンフリー(トランペット、弟)の兄弟を中心としたプリザベーション・ホール・ジャズバンドは盛んに全米ツアーを行った。70代にかかった古老たちの元気な演奏と、熱狂する観客(1973年)。

動画9:娼館街時代の妖しい雰囲気を伝えるおばあちゃんピアニスト、スイート・エマ・バレット(Sweet Emma Barrett、1897-1983)。ガーターに鈴をつけた脚でリズムを取るお色気ギミック?で「ベル・ギャル」と呼ばれ(別動画)、左半身不随となった晩年も片手でピアノを弾き続けて名物的存在であった(1982年)。

動画10:テディ・ライリー(Teddy Riley、トランペット)、ルイス・コットレル(Louis Cottrell、クラリネット)らの疾走感あふれる録音(1974年)。このあたりがリバイバル系ニューオリンズジャズの最終形態か。フレディ・コールマン(Freddie Kohlman)のドラムはいわゆるセカンドラインリズムを基本とする一方、3連符ベタ打ちのフレーズがR&B的な土壌を示しており、ジャズ的には好悪が分かれそうだが強力なグルーブを生んでいる。

3.ニューオリンズジャズの革新

このようにして花開いた「ニューオリンズ・リバイバル」ジャズも、R&Rやソウルミュージックの出現によるポピュラー音楽の多様化と、ディスコダンスの出現による社交ダンス(ペアダンス)の衰退とにより、生活に根ざしたダンス音楽としての存在意義が次第に薄れ、1960年代には既に、ジャズファンや観光客向けの懐古的な観賞用音楽となってゆきます。

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また、生まれが1900年代や1910年代である全盛期の演奏家も、1970年代から徐々に亡くなり始め、これによりニューオリンズジャズは消えてしまう運命かと思われました。

これに危機感を覚えたダニー・バーカー(Danny Barker,バンジョー・ギター)らの熱意によって、教会を基盤とした若者によるブラスバンドが結成され(1971年)、これを母体として、現代的技術を身につけた若手演奏家が次々と世に出ることになります。

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こうした若手演奏家たちはまずオリンピア・ブラスバンド(Olympia Brass Band)のような伝統的なブラスバンドに加わり、これにR&Bやソウルの楽曲と感覚を採り入れ始めました(Mick Burns著 "Keeping the Beat on the Street" P.35)。そして1980年代には、ファンクとモダンジャズの要素を大胆に導入したダーティーダズン・ブラスバンド(The Dirty Dozen Brass Band)やリバース・ブラスバンド(The Rebirth Brass band)が登場して注目を集め、消えかかった伝統に革新の火が一気に広がりました。

動画11:革新の旗手となったダーティーダズン・ブラスバンド(1977)。

また、いずれも音楽一家出身であるウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis,トランペット)やニコラス・ペイトン(Nicholas Payton,トランペット)などは、モダンジャズの分野でニューオリンズの伝統を踏まえた新しいジャズの創造を試みています。

他方ドクター・マイケル・ホワイト(Dr. Michael White,クラリネット)、フレディー・ロンゾ(Freddie Lonzo, トロンボーン)、エヴァン・クリストファー(Evan Christpher,クラリネット)らは、アカデミックともいえる伝統的スタイルの追究から、ユニークな現代型のスタイルを創りつつあります。

そして、ファンク色を強めた数々のブラスバンドは、黒人街トレメ地区などのクラブでマッチョなキャラクターを確立し、ヒップホップやラテンなどと融合しながら、ちょっと悪い感じの娯楽として地元の若年層に圧倒的な人気を得ているようです。

動画12:ファンク色の強いホットエイト・ブラスバンド (2007)。フジロック'13にも出演(→その動画)したというから、スカとも異なるファンキーなグルーブに撃ち抜かれた管楽器経験者も多いのでは。

動画13:リバース・ブラスバンドの創立メンバーでもある地元スター、カーミット・ラフィンズ(tp)による3管コンボ編成のバンド(2007)。ニューオリンズジャズの現在形はこのあたりが基本ラインか。リラックスしたテンポのセカンドラインリズムで演奏されるこのオリジナル曲は、マイルドヤンキー的?な地元愛が歌われるパーティーチューンといった趣き、なおコード進行はまさかの「聖者の行進」。

動画14:伝統あるプリザベーションホール・ジャズバンドもついにオリジナル曲を作り始めた(2013年)。ちなみにtpのマーク・ブラウドはJohn "Pickey" Brunious, Sr.(tp)の孫で、Wendell Brunious (tp)やJohn Brunious, Jr.(tp)の甥、しかも初期デューク・エリントン楽団の大御所Wellman Braud (b)とは遠戚とのこと。

動画15:元留学生などの若い世代の移住者によるバンドも増えつつある模様。動画のチューバ・スキニー(Tuba Skinny; 2015年)はファンクやモダンジャズの影響を排除し、アーリージャズに特化して濃密な演奏を展開しており興味深い。希少古典楽曲を執拗に発掘するリサーチ能力と確かな演奏力はむしろ現代的。

動画16:悪童キャラが楽しいJames Williams (tp)のバンド(2021)。サッチモ風のダミ声ボーカルやキングオリバー風のブレイクなど、アーリージャズの小技も巧みに盛り込んでいる。タイトで理知的なドラムはTrenton O’Nealという方だそうで、次世代の標準になるかも。

ともあれニューオリンズは、現在でもお葬式でジャズが演奏されるような音楽の街であり、観光の中心地である旧市街フレンチ・クォーターには沢山のジャズバーが建ち並び、中でもプリザベーションホールでは、往時の演奏家の息子や孫の世代による昔ながらのスタイルの演奏を毎晩楽しむことができます。

動画17:現代のジャズ葬式、教会からの感動的な出棺の様子(2007年)。高く掲げた棺を揺らしているのは、死者に最後のダンスをさせようとの意図らしい。

ニューオリンズジャズの3類型(私見)

以上のような100年以上にわたる歴史があるため、「ニューオリンズジャズ」と一口に言っても、年代に応じた傾向の変化があります。具体的には、概ね以下の3つの類型に分けてよいと思います。

[1] アーリー・ジャズ

最も古い1920年代以前の演奏スタイル(上掲の動画1-3, 15)。ジャズが第一線のポピュラー音楽として競って演奏された年代のものであるため、編曲は古めかしいが非常に凝っており、演奏内容もしばしば大変スリリングである。テーマが複数あるラグタイム系の曲が多く、ストップブレイクの頻度が高い。テンポがかなり速いものもしばしばある。バンドごとのオリジナル曲やオリジナルの編曲が多いため、ジャムセッション向きでない。戦前の録音がほとんどであり音質が悪い。クラリネットやバンジョーがほぼ必ず入り、しばしば低音にスーザフォンが使われる。電気楽器は使われない(年代的にまだ存在していない)。 骨董品の雰囲気が最も濃厚で趣味性と懐古感が強いが、編曲が複雑なため演奏には入念なリハーサルが必要。このため演奏がキマれば映える反面、ジャズ初心者がこればかりやっているとコピーで手一杯になってしまい、アドリブ能力がなかなか身に付かないかも。

[2] ニューオリンズ・リバイバル

ニューオリンズジャズのうち最も代表的なものと思われる、1944年~1960年代にかけてのニューオリンズ現地での演奏スタイル(上掲の動画4-10)。ジャズ史的には知名度の低い一群のローカルな高齢ミュージシャンによって演奏されるか、又はこれを模範としている。編曲が簡易であり、メロディの美しさが強調されていて聴きやすい。ひなびた懐古感が支配的であると共に、しばしばアーシーでルーツ的なゴスペル色・ブルース色が濃厚に表現される。レパートリーは概ね1920年代以前の楽曲であり、ラグタイムやミュージカルなどのヒット曲のほか、賛美歌やクレオール民謡がしばしば加わる。クラリネットやバンジョーがほぼ必ず入り、電気楽器は使われない。臨時ないし短期のバンド編成が多かったとみえてオリジナルの曲はまれであり、定番の曲の定番編曲を使いまわす傾向が強いため、比較的カジュアルに演奏でき、ジャムセッション向きである。コードに基づくシンプルなアドリブを覚えるのに好適であり、はまる人はこれだけで何十年も遊べてしまう一方、音楽的な素朴さに退屈や退行を感じてしまう複雑志向の人には興味が維持できないかも。悪く言えば傍流のカルト音楽であるが、それだけに同ジャンルの人の間の連帯感は強固であり、世界中どこへ行ってもいきなりセッションできてしまう。演奏では当時の一連の音源における語法・情感や重めのリズム感の理解度・再現度が重視され、これらの度合いが高いほど歓迎される。参考にすべき最盛期の音源はアルバム200枚程度以内に限られる。概ね大人向けの題材であって、現地の若い人にはほとんど聴かれていない模様、逆にレトロ観光地にならば需要がありそうに思われるが。1960-70年代に欧米や日本で多数生まれた学生バンドにこの系統のものが多いが、当時から約50年が経過し演奏者とファンが高齢化している。映画監督ウディ・アレンがクラリネットを吹くバンド(動画=かなりの腕前!)もこのスタイルの典型例。

[3] コンテンポラリー・ニューオリンズ

1980年代のダーティーダズン・ブラスバンド以降に相当する、ファンク色の強い演奏スタイル(上掲の動画11-14, 16)。ソウルミュージックに近いファンキーさとマッチョ感があり、かつモダンジャズやファンクの素養と演奏技術が普通に用いられる。トランペット、トロンボーンやサックスなどの管楽器を主役とする一方、エレキギター、エレキベース、電子キーボードが入ることも普通にある。しばしばクラリネットやバンジョーが排除され、懐古感が払拭されている。アドリブへのハードルが高く、モダンジャズやファンクに習熟していないと、テーマは吹けてもソロの際に演奏技術の不足が露呈しがち。逆にモダンジャズ系の人が片手間に演奏すると力感・音量・トラッド曲知識の不足が目立ってしまうことも。ブラスバンド編成はラウドになる傾向が顕著。響きが斬新かつ鋭角的であるため、現地の若い人の支持は強く、日本や諸外国でもこれを演奏してみたい管楽器経験者は多いと思われるが、それを聴きたいという需要がダンス志向やパーティー文化の希薄な日本でどれだけあるかは未知数かも。

これらのうち[1][2]を「トラッドジャズ」あるいは「トラッド」と呼ぶこともあります。現在活動している国内外のグループは、たいてい[2]か[3]、あるいは両者の中間あたりを狙っているようです。

当バンド(ジャズボイラーズ)は概ね[2]で、たまに[1]に手を出したりしています。

ニューオリンズジャズに関するおすすめ情報源

(いずれも英語です)

無料音源

Youtube ←2018年頃?ひっそりとリバイバル系音源の宝庫に変貌!解説をブログ記事にまとめました

The Red Hot Jazz Archive ←アーリージャズ主要演奏家の紹介(無料音源つき)。低音質ながら解説が充実。1990年代中盤から2008年頃にかけて更新され、2019年頃に消滅するも、有志がWayback Machineから再現した模様

CDレーベル

Jazzology - New Orleans, Louisiana ←リバイバル期のローカルな音源が8割がた結集する総本山

無料ウェブラジオ

WWOZ 90.7FM ←ニューオリンズ現地発!コンテンポラリーからトラッドまで一日中流してます

無料コードブック

C-jam New Orleans jambook ←トラッドの主な曲を網羅(約1000曲)。奉仕精神に驚嘆。コード解釈が平易で実戦的。コード表がC楽器用なのに五線譜がBb楽器用なのは賛否ありか。多くの曲に自前の演奏例動画がついており、サイト作者Lasse Collin氏(スウェーデン)のクラリネットがグロウルしまくりでめちゃ楽しい。※2024.4追記:サイト作者Collin氏が2022年12月に亡くなられたそうです。大変残念です。サイトは2024年4月にいったん消滅しましたが数日後に復活しました(ご遺族のご厚意か)。ご冥福をお祈りしつつ、末永く使わせて頂きましょう

Jazz Pilgrims' chord book ←トラッドの主な曲を網羅。やや癖があるが収録曲数が多い

The Firehouse Jazz Band Fake Book ←楽譜(C譜)つき。ダウンロード(PDF WITH TEXT等)すると便利か

電子書籍

Playing traditional jazz ←トラッドを演奏してみたい人のための指南書(2017年)。著者Pops Coffee氏は英国の老アマチュアtp演奏家でブロガー(ブログはこちら)。メンバーの集め方、練習法、コード進行の類型、選曲、ステージマナー、手信号、路上演奏など、従来語られなかった実践的なノウハウが演奏者の視点から丁寧に書かれており、楽しくて有益。高齢化で衰退する英国シーンへの嘆きと、Tuba Skinnyらニューオリンズ若手移住者への期待があふれる最新の内容。英国ゆえか関心がアーリージャズ寄りであり、リバイバル系やコンテンポラリー系に無関心なのはご愛嬌か。電子書籍(Kindle版)なのでYoutube動画類へのリンクも充実。英語ながら文体は平易で読みやすい。有料だがコーヒー1杯分の値段、これは買いです

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